昔から食べられていたかきについての雑学いろいろ。
 
 
かきを『牡蠣』と書くのはなぜ?
かきを「牡蠣」と漢字で書くのは、昔はかきには牝がなくて牡ばかりだと考えられていたためだとか。その他、「石華・石花」と書いた文献もあり、こうした表記は自然の生態に由来するもものだと考えられます。
 
太って美味しい広島かき
広島のかきは、東北のものなどに比べると殻が小さいが、殻の深みが大きいのが特徴です。自然に、殻の中に入っている身も丸みのあるよい身に成長するのです。
  
殻だって役に立つ
身を出してしまったかき殻は、さまざまに利用されています。貝灰としての肥料に使われたりコンニャクや砂糖などの製造工程にも利用されています。また、ギリシャ時代には「かいがら追放」と呼ばれる制度が行われていましたが、この時に投票用紙の代わりに用いられていたといいます。
  
かきは変わり身の術を使う!
広島のかきの多くを占めるマガキは、フランスガキなどとは違って雌雄が別。でも、その年に雄だったものが、翌年は雌になったりと年によって雌雄が入れ替わったりもするという変わった特徴をもっています。
  
西日本一帯に出かけた牡蠣船
今はその姿を見ることができなくなった牡蠣船の活動範囲はとても広いもの。徳山、岡山などの中国地方はもちろん大阪や遠く長崎あたりまでと、西日本をカバーしていたのです。牡蠣船は、毎年、旧暦の9月に広島を出航し、翌年の旧暦の正月いっぱい商売をして2月頃広島に帰ってきました。 かきを輸送するだけではなく、販売したり船のなかでかきを食べさせていたのが牡蠣船の特徴です。そのために、普通の船とは違う独特の構造をしていました。
 
かきって無口?
かきの殻はとても硬くて開けにくいものですが、英語には「かきのように無口な」「かきのように口が固い」というという言い回しがあります。英語圏ではかきは寡黙の象徴なのです。また、殻の開けにくさは貝柱と靭帯が強靭さにありますが、これはかきがグリコーゲンをたくさん含んでいるという証拠です。
 
かきの食べ頃は?
アメリカやカナダでは「R」の字のつかない月、つまりMay、June、July、August(5〜8月)のかきは食べないといい、日本にも「花見過ぎたらかき食うな」ということわざがあります。しかし、実はこの時期のかきが有害というわけでは決してないのです。こうした言い伝えの理由は、この季節のかきは卵をもっていることで鮮度が落ちやすく、冬場のかきに比べて旨味成分であるグリコーゲンが減っているので美味しくないということにあります。また、暑い季節なのでかきの鮮度が保ちにくくなることなどが考えられます。最近では、マイクロバブル装置でかき筏内の海水を浄化して真夏にかきを育てて販売するという新しい動きが生まれています。
 
かきの保存法
かきの保存は5℃以下にしましょう。購入したかきは冷蔵庫で保存しますが、その際には絶対に水洗いしないことがポイントです。
 
英雄もかきが大好き
ローマの英雄ジュリアス・シーザーは遠くイギリスまで遠征をしたのですが、その目的は実はテムズ川流域で採れたかきが欲しかったからだとか。また、フランスを制圧したあのナポレオンはかきが好きで、戦場でもかきを食べていたといいます。
 
文豪もかきが好物
『火宅の人』等の作品で有名な檀一雄はまたグルメとしても有名で、多くの食に関する本を書いています。その中の一冊『わが百味神髄』では『しかし、カキフライだの、カキのドテ鍋だのにするのなら、日本のカキ万歳であって、青バナを垂らしたような、ボッテリお腹のふくらみあがった、日本のカキでなかったら、あの豊満なカキのうれしさには、めぐりあえないだろう』と、かきの美味しさを賞賛しています。
  
かきは定住型
同じような固い殻をかぶったアワビは、餌を求めて歩き回ります。それに比べてプランクトンを食べるかきは、いったん付着したら生涯そこから離れない性質を持っています。かきは養殖に向いている貝なのです。
  
グリコとかきの関係
『一粒で300メートル』というキャラメルのキャッチフレーズで有名なグリコ。グリコの社名はかきがたくさん含んでいる栄養成分・グリコーゲンを称したものとか。大正10年、創業者の江崎利一氏がかきの煮汁からグリコーゲンを採取して栄養菓子「グリコ」を創製して試験発売したことが、グリコの出発点なのです。かきがグリコーゲンをたくさん含んでいたから、グリコが誕生したともいえます。
  
俳句にも読まれるかき
かきは冬の季語にもなっているほど、日本人にとって馴染み深い存在。「蛎むきや 我には見えぬ 水鏡」(其角)「牡蠣はかる 水の寒さや 枡の中」(高浜虚子)など、昔から多くの俳人がかきの句を詠んでいます。
 
「土手鍋」という名称の由来
鍋の縁に味噌を土手のように塗るから「土手鍋」と呼ぶと思われていますが、実は違います。昔、大阪方面に出かけた牡蠣船は、淀川など河川の土手下に船を係留してお客さんを迎えていました。牡蠣船で食べさせる鍋の美味しさが評判になり、「土手下の鍋を食べに行こう」ということから土手鍋という名前が付いたといいます。